「恐れる者の勇気」  07.08   士師記7:1〜15、エフェソ6:10

 
 神は、御子イエス・キリストを十字架につけて、私たちを御自分のものとしてくださいました。
 そうまでして、迎え入れた私たちを放っておかれるはずがありません。
もはや私たちは、神抜きで生きている存在ではないのです。  

 ギデオンも、自分が神抜きに生きているのではないと知ってようやく歩みはじめることができた人です。
そのときギデオンは、13万の敵軍と戦わなくてはなりませんでした。しかも神から、32000人いたイスラエルの兵を
減らすように命じられ、300人で戦うことになったのです。ギデオンは恐れました。戦いを前にして不安でいっぱいでした。
 ところが、ギデオンのことをギデオン以上に知っていたのは敵兵でした。敵兵は、神がギデオンたちと共におり、
神が戦われることを見抜いていました。敵兵を通して、神が自分と共おられることを知ったとき、ギデオンは進み出せました。  
 300人で戦うのは、神抜きで戦うならば無謀です。神抜きで事を進めるならば、数、手持ちの量、状況分析が大切になります。

 しかし、神と共に事を進めるのであれば、それ以上に信仰が大切になります。どれだけ神に依り頼んでいるかが勝敗を分けます。
300人となったギデオンは、神に依り頼むしかありませんでした。そして、この戦いに勝利しました。
 ギデオンが、他民族の襲撃を恐れ、隠れて過ごしていたときに,御使いは「勇者よ」と呼びかけました。ギデオンは、恐れ、隠れるしか
できない者でしたが、神が共におられるから勇者なのです。

 ですから、神のものとされ、神が共にいてくださる私たちも、御使いから「勇者よ」と呼びかけられる存在です。
 私たちは、持っているものや、目の前に見えることに心を奪われて、大切なことを見失います。
主が命を捨てて贖いとってくださった自分であることを忘れます。
 しかし、これを忘れたり、疑ったりする必要はないのです。主がわたしのために死んでくださったことは、ゆるがない事実だからです。